文:キラかこ編集記者
キラカコ 私が今回先生にどうしてもお聞きしたかったことは、一言で言えば“先生の教育論” である。このサイト内で進めている“キラかこ百彩万歳”は、地元企業や地域の代表者を取材 し、その人の人となりに触れる企画だ。過去3回進める中で、誰もが口にすることは、“山本先 生の教え”それは、“ほめて伸ばす”ことにある。 ある方は、「先生の教えに乗せられて、絵が好きになり、今もなお続けている」 と言われ、 毎日の暮らしの中に、絵画があり、絵画の時間を好まれている。 “先生の弟子”である教え子たちに、どのように接し、どのように教えてこられたのか 質問をしてみた。
山本 「私は、1948年に教職につき美術科を担 当、1987年に加古川市立平岡北小学校校長を 定年退職。その後も美術・絵画と向き合う中で、 私にとって絵画とは“人”そのものであること。 自分の履歴がそうであったように、人を育て、 人と学び、地域に触れ、自然を愛する心こそ が、また自分に返り、教えられ、人はまた自然 へと帰ってゆく・・。 昔はよく、生徒とキャンプ をしました。」
先生の教え子のひとりに、トッパン・フォームズの会長福田康弘氏がおられる。 彼が書いた一文に、山本先生らしいエピソードがあるので、ここに紹介する。
日経産業新聞 2006年3月30日仕事人秘録の一文から-トッパン・フォームズ 福田康弘 私に絵を教えてくれたのは美術を担当していた山本嘉彦先生だ。個性的な芸術家集団で ある二紀会のメンバーで、 当時は大学を卒業したばかりの新進の画家だった。 山本先生はほめて育てる主義で、どんなに下手な絵でも良いところを見つけて面白いと ほめてくれる。私が絵を好きになったのも先生の指導に触れたからだ。
絵画で忘れられない思い出がある。先生は夏休みに なると毎週人物を描くため町の美術教室に連れていっ てくれた。そこにヌードモデルがいたのだ。最初、中学 生の私たちは見慣れないモデルの姿に興奮してしまい、 絵を描くどころではなかった。そのうち、刺激の強さに 耐えられなくなったのか、部員の一人が意味もなく 笑い出したのだ。つられて皆も笑い、モデルの女性も 先生も笑い始めた。
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教職を離れ、また別のカタチで絵画と向き合う。山本先生にとって絵を描くことは手段で あって「人が好きであること、人を好きになること」人と接し、世代を超えた生徒さんを見る中で そのコトバが胸に響いて、“キラかこ百彩万歳”の明日の色は何色かと尋ねられたら、自分と 人が織り成す色を混ぜた色こそまさに、キラかこ色なのだと気づかされた気がしました。